私が上海に駐在していた時の話
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Apr 18, 2023
実は私は上海に1年か2年くらい行ってました。
20年くらい前かな?
なぜ行ったかというと、
今は中国が経済成長したのは常識的なことですが
当時、まだ一部の大企業しか中国に目を向けていませんでした。
そこに目をつけた会社の方針で
上海にイタリアンレストランを出そうというお話で
私が行くことになりました。
なぜ行くことにしたのかといえば、
単純に上海ドリームというか
一攫千金なイメージもありましたし
未開の地を開拓するような面白さですかね
私は英語は喋れませんし、
中国語も麻雀で覚えた1から9の数字しか知らない状態で
1個だけ日本人という言葉(ニーベンレン)を覚え
1人で旅立つことになりました。
まあ向こうに日本語がわかる通訳がいると言ってたので
まあいいかって感じで
ただ出国する際にその通訳の湯(たん)さんには気をつけろとしつこく言われたんですが
なんか天性の天然タイプだそうで
あとでその注意事項が1番重大だったと
思い知らされることになります
意気揚々と飛行機に乗り込み出発
当時はまだ中国線は飛行機でタバコが吸えた時代
ありえないでしょw
CAとかも座って新聞読んでた時代です
マジで中国ってそういうノリの国なんですよw
そして愛知県から2時間30程度で上海空港に到着
そしてスーツケースを取りに行き、
なんかあいつスーツケース投げやがったなと
思って見ていたら私のでした
まあいいやと思い
通訳を探す
すると絵に描いたような
THE中国人風の湯さんが
『キーヨーハールーさーん、どーこーでーすーかー?」
という絶叫をあげていました
ちょっと恥ずかしいなと思いながら軽く手を振ると
彼はこちらに猛ダッシュ!
不安そうな私に
『おーまーかせください、大丈夫、何も心配ない私中国人ですから』
私は、いや知ってるからと冷たく言うと
とにかく借りたアパートに行こうかと歩き出す
タクシーと湯さんが交渉
今は知らないけど当時はタクシーは外国人はボッタくる
中国人同士でもいちいち話し合って料金を決めるシステムだった
1時間くらい離れた古北(グーベい)という町についた
大都会ですげー人がいっぱいだった
じゃあ行くよということで徒歩に切り替え
『わかりました、案内します」
『大丈夫、大丈夫、私中国人ですから』
という不安なことを言いながら
湯さんはなぜか私の先へ先へ
ちょっと張り切りすぎなんだけど
そして彼はいなくなった
『おい、マジか』
そして私は上海で迷子ちゃんになってしまった。
まずいまずいぞと、アパート行ったことないし
そもそもその住所は持っているんだけど住所が読めない
でまあこういう時は慌ててもしょうがないから
ビールでも飲もうと思い
コンビニに入りビールを購入
やっぱ中国のビールはマズイなーと文句言いながら
ひらめいた、最悪、日本大使館の住所もメモってあるし(読めないけど)
そもそもタクシーのって住所見せればいいだけじゃん
でタクシーに乗り込み住所を見せ
運転手が何を言ってるか全然わからんが
とにかく行ってくれと日本語で言いまくる
で着きましたってとこが
アパートと言っても向こうは全部でかくて高級マンションみたいなのが
ごろごろあって入口は全て門があり守衛がいて許可がないと入れない感じ
今の日本でいうと東京か大阪のど真ん中でタワマンに外国人が突撃する感じですw
うーん嫌な予感
タクシーを降りると守衛に住所を見せたら
以外にもあっさりOK
そして書いてある通りの12棟の201号の部屋へダッシュ
そしてピンポン
湯さん戻っていてくれと願いながら
扉が開く
すると知らない中国人が出てきて
俺の人生終わったなと思いました。
もうあとはプランBの日本大使館しかないのかと
でも今日きたばかりで家に着く前に
大使館に助けを求めるなんてダサすぎるどうしようと思い、
とりあえず日本語でなぜか説明開始
ここは俺の家じゃねーのか的なことを言ってみた、
もちろん日本語で…
全く通じず
その時
『ニーベンレン?』
お、なんか聞いたことある?
おーあれだ日本人
つまり日本人か?って多分言われた
とりあえずイエスイエスというと
あとでわかったことだが、まずは住所の建物のどこかの見方を
私が間違えていて少し離れた棟だったみたいで
その人はたまたま日系企業で働いて
日本人だって雰囲気的にわかったみたいで
親切に正しい部屋まで連れて行ってくれた
(これは中国では大変珍しいことです)
そして再度ピンポンすると…
まさかのあの、あの男が
『キーヨーハールさーん、あなたなぜいなくなった?私とても心配したー
日本の会社から電話きて、私、大変怒られたよー』
そりゃ怒られるだろ普通!
と無責任なことを言っていた
私は心の中でマジぶっ飛ばすぞと思ったが
忠告を甘く見ていた自分も悪いと思った
なぜなら今日からここで暮らしていかないといけないから…..
そしてその日、自分では平気だと思っていたのだが、
動揺したのかなぜか急に高熱が出た
しかも中国のお正月、春節に合わせて行ったので
その日は大晦日
夜中じゅう爆竹が鳴りまくる中で高熱が続く
なんで俺はこんなについてない男なんだと思いながら
いやそんなことで泣き言ってたら
この国で生きていけねえぞと思い直し
結局、爆睡した
この話は実在の話であり
KIYOさん上海編シーズン1の
1の不運なKIYOさんの話でした
このあと1年半か2年イタリアンレストランをオープンさせるまでのとんでもない
ハプニングや面白い話が続きますがとても長くなるので
またいつか面白い部分を切り取って書きます
基本的に海外で飲食店を立ち上げるまでの話なので
あなたの何かの刺激になれば
それでは
PS
翌日、風邪薬を買ってきて欲しかったんだけど
またへんな薬を買って来られると困るので一緒に買いに行ったんだけど
その時食べたピータンのお粥が今までの人生で
1番うまいお粥だった